ホールスタッフから社長秘書へ

パチンコ店でホールスタッフとして働いていた私は20歳で給与は25万程度で実家暮らしでそれなりに生活も出来てはいました。ただ何の仕事をしているの? と聞かれた時に答えづらく誇りを感じるなんて遠い話でした。それでも、やはり高卒で何の資格も特技もない私にはパチンコ店以上の稼ぎのある仕事というのは見つからずに辞めることが出来ずにいました。肉体労働だし、仕事は歳を取って続けられる仕事でもないとわかっていた分余計に不安が募るばかりでした。

そんな私が変わろうと感じたきっかけは、一緒のように遊んでいた友人達がひとりまたひとりとまともな仕事に就職を決め出したからです。

自分が変わるために

とりあえず何も考えずに仕事を辞めました。その結果、パソコンが使える訳でもなく何か人より優れている所もなく人並み以下の私になかなか条件に合う仕事が見つからずに一ヶ月間フリーターというかほぼニートをしました。それまで遊んでばかりいて貯金もまともにしておらず生活は一気に苦しくなりました。何かをしなくてはと思い学校に通いたいと思い両親にお金を貸して欲しいと相談をしたのですが、これまで何度も両親を裏切り遊び呆けていた私にもはや信用はなくなっていたのです。今思えば、両親が一度見放してくれたことが私自身を見直すきっかけだったのではと思います。可愛い子は旅をさせろなんていいますがまさにその通りですね。

何か方法はないかと思い友人などに相談するとハローワークでの職業訓練のことを聞きすぐに飛びつきました。3ヶ月の職業訓練でめちゃくちゃ勉強しました。パソコンの電源すら入れられなかった私はそれなりに使える人まで進化しました。ただこの職業訓練の間が人生で一番苦しかった時だと今でも感じます。私の家は田舎で職業訓練の施設まで電車で片道一時間、740円の出費で朝6時過ぎの始発に乗り職業訓練で夕方まで勉強し、週に3回携帯代や車のローン・交通費・食費などの生活費を稼ぐためスナックでアルバイトで家に帰るのは朝の2時を回っており寝る時間は平均で3時間程度の本当に辛い時期でした。それでもスナックが休みの日や仕事が終わった後も必死で勉強もし資格をいくつか取得し、ようやく3ヶ月後就職を探すことになりました。

社長秘書へ

就職を探し始めた頃スナックで働いていた時に知り合った人の紹介で面接に行きました。紹介してくれた人からは事務員の募集と聞いていてそのつもりで面接に行きましたがいざ会場に行くと社長秘書の面接でびっくりしました。適当に面接に答えるとなぜか採用され人生が一変する社長秘書の生活が始まりました。

最初は全く分からないことだらけで大変でしたが、今まで出会うことのなかったような方にお会いし貴重な話や経験が出来て人間として一回り大きくなれた気がしますし、社長の出張についていき海外なんかにも行けて本当に生活がガラっと変わったなと感じます。

今でもたまに思うことがあります。給与も以前より増えて現在25歳で月給40万弱です。もしあのまま何も考えずにパチンコ店で働いていたら私はどうなっていたのだろうかとたまに考えてしまします。転職前は不安ばかりでしたがいざ転職してみると最初は大変だけど生活だけではなく人生観まで変わりました。今の会社には向上心が強い人も多く日々刺激があり、英会話などのレッスンに通いながら今まで興味のなかった様々な分野の本などを読むようにもなりました。転職ひとつでここまで人生が変わるとは想像もしていませんでしたが正直勇気を持って仕事を辞めて本当に良かったと思っています。

甘やかせ過ぎずにキツく見放してくれた両親と、現在の会社の社長・同僚には本当に感謝しています。